私の母は、八十歳を過ぎても、一人で元気に暮らしていました。しかし、ここ数年、少しずつ物忘れが多くなり、指先の動きもおぼつかなくなってきていることには、私も気づいていました。それでも、「まだ大丈夫」と、どこかで高をくくっていたのかもしれません。その電話が鳴ったのは、私が仕事の会議に出席している最中のことでした。画面に表示されたのは、見知らぬ番号。出てみると、それは母の隣に住む方からでした。「お母様が、家の鍵が開けられないと、玄関の前で困っていらっしゃるのよ」。その言葉に、私の心臓は凍りつきました。会議を中座し、上司に事情を話して、私は大急ぎで実家へと向かいました。実家にたどり着くと、マンションの廊下で、隣人の方に付き添われ、不安そうな顔で立ち尽くす母の姿がありました。その手には、見慣れた家の鍵が、ちゃんと握りしめられています。私が「どうしたの?」と声をかけると、母は「この鍵、どうしても入らないのよ」と、泣きそうな顔で言いました。私は母から鍵を受け取り、鍵穴に差し込みました。すると、何の問題もなく、あっさりと鍵は回り、ドアは開いたのです。原因は、おそらく、加齢による視力の低下と、指先の力の衰えで、鍵を鍵穴にまっすぐ、そして奥まで差し込むことが、できなくなってしまっていたのでしょう。その日の母の、心細そうな背中が、私の脳裏に焼き付いて離れませんでした。これまで、当たり前にできていたことが、できなくなっていく。その不安と悔しさは、本人にしか分からないものかもしれません。この一件を機に、私は実家の玄関の鍵を、リモコンのボタン一つで開け閉めできる、高齢者向けの電子錠に交換することを決意しました。費用はかかりましたが、母が二度と、あの日のような心細い思いをすることのないように。そして、いつまでも安心して、自分の家で暮らし続けてくれるように。それは、息子として、私ができる、ささやかな、しかし当然の責任だと思ったのです。